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原子論との関係

 世界が何からできているか知っていますか?

 そう、この世のあらゆるものは「原子」でできています。ところで、原子の存在を初めて唱えたのは古代ギリシアのデモクリトス達で、彼らはタレスの後輩にあたります。

 だから、タレスのこの言葉も原子論の元祖のように語られることがあります。でも、水を部品のように考えているわけではないし、タレスの重要性は本当はもっと別のところにあります。

タレスの生涯
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あさのは塾便り::本・映画など | 08:27 AM | comments (x) | trackback (x)

答え。英語を勉強すると日本のことがよくわかるからです。

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often(オッフン)→ しばしば、たびたび、よく
「山田君はしばしば宿題を忘れる」
「山田君はたびたび宿題を忘れる」
「山田君はよく宿題を忘れる」


 辞書を引くとoftenの意味は3つ。ということは下の3つの日本語はだいたい同じ意味だということです。つまり、英語を勉強すると日本語の言葉の意味がはっきりしてきます。

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あさのは塾便り::本・映画など | 08:17 AM | comments (x) | trackback (x)

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 人類は約250万年前、アウストラロピテクスの名で登場してから99%以上の歳月を狩猟・採集に依存して生きてきました。

 人間の身体は狩猟や採集に適応しており、野生の食料は何十種も確保することができました。人間は雑食性ですからこの食事は理にかなっています。

 複数の食料を摂取すれば栄養バランスは保ちやすく、一部の食料供給が途絶えても別の選択肢を探ることができます。

 飢えや病気の危険もこの後の時代より少なかったかもしれない。彼らは刺激的で多様な時間を過ごしたことでしょう。

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あさのは塾便り::本・映画など | 09:00 AM | comments (x) | trackback (x)

 人類が農耕・牧畜を始めた経緯はおおむね次のように語られます。約1万年ほど前、氷河期が終わると地球の気候は温暖化し、人類は新しい環境への適応を模索した。

 そんななか、紀元前9500~8500年頃トルコやイランなど西アジアで、世界で初めて小麦の栽培と山羊の飼育が始まった。

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 人類は自然環境に働きかける術を覚え、獲得経済から生産経済の段階へと移行した。人口が増え文明発展の基礎が築かれた。

 かつて農耕・牧畜は中東地域から各地へ順次伝播したと思われていましたが、今では世界のあちこちで独立して食料生産が始まったと考えられているようです。

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あさのは塾便り::本・映画など | 08:13 AM | comments (x) | trackback (x)

 かつて南海の帝の名は儵(しゅく)、北海の帝の名は忽(こつ)、中央の帝の名は渾沌(こんとん)といった。

 あるとき儵と忽が渾沌に会いに行き、渾沌は彼らを手厚くもてなした。そこで儵と忽はその返礼をしなければと考えた。

 「人間には皆7つの穴があり、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしている。しかし渾沌にはそれがない。だから試みに穴をあけてやろうではないか。」

 かくして一日に一つずつ穴を開けてやると、七日目に渾沌は死んでしまった。
(『荘子』内篇應帝王篇第七)

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あさのは塾便り::本・映画など | 08:09 AM | comments (x) | trackback (x)

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな(紫式部)

 「めぐり逢ってお見かけしたのかどうかもわからないうちに姿が見えなくなってしまいましたね、夜中の月のように」と詠む歌です。

 今ではすっかり携帯電話が普及しました。携帯が流行りだした頃、さっそく塾に持ち込んできたのは女子高校生たちですが、彼女たちが道で友人を呼びとめるのにも携帯をかけているのを見て変な時代になったと思ったものです。

 上記の歌の作者は紫式部、女友だちが訪ねてきたもののすぐに帰ってしまったときに詠んだ歌だそうです。

 当時はもちろん携帯もなく何かの事情ですれ違えば会うこと自体が難しかったわけで、会えなかったときの切なさは今の私たち以上のものがあったでしょう。

 とはいえ、そのおかげでこうした趣のある歌が後世に残されました。大切な人に会えないということは限りなく詩情をかきたてるものです。

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あさのは塾便り::本・映画など | 08:02 AM | comments (x) | trackback (x)

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 思慮深い呼び出しの長(おさ)はゲドにこう語ります。「そなた、子どもの頃は、魔法使いに不可能なことなどないと思っておったろうな。」

 「だが、事実はちがう。力を持ち、知識が豊かにひろがっていけばいくほど、その人間のたどるべき道は狭くなり、やがては何ひとつ選べるものはなくなって、ただ、しなければならないことだけをするようになるものなのだ。」

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あさのは塾便り::本・映画など | 09:21 AM | comments (x) | trackback (x)

 『ゲド戦記1 影との戦い』(アーシュラ・K.ル=グウィン著、清水真砂子訳)はアースシー(Earthsea)という世界に生きた大魔法使いゲドの少年から青年期にかけての物語です。著者のル=グウィンはアメリカの女性SF・ファンタジー作家、1968年の作品です。

 ゴント島の小さな村の鍛冶屋の息子として生まれたゲドは幼いころ母を亡くし野山を走り回って雑草のように育ちました。背は高く動作は機敏でしたが騒々しく傲慢ですぐにかっとなる子どもでした。

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あさのは塾便り::本・映画など | 07:56 AM | comments (x) | trackback (x)

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 ところで、理解のスピードは生徒によってちがいます。だから本来ならそれぞれの生徒に合った速さで寄り添って進むことが望ましいはずです。

 ただ、それが度を越えると勉強は遅々として進まなくなります。ゆっくりが甘やかしになっては困るわけで、その兼ね合いが難しいですが、気が進まない生徒の手を引いてやるのもまた先生の役目です。

 ですから、生徒を慎重に観察しながら適当なタイミングでハッパをかけてあげるということになります。

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あさのは塾便り::勉強・子育てなど | 09:28 AM | comments (x) | trackback (x)

 授業で説明を聞いてもすぐその場で理解できるとは限りません。「わからない」状態から「わかる」状態へ移行するには段階を踏む必要があります。例を挙げて考えてみましょう。

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例1.あまりのあるわり算(小4)

     922÷16


 たし算やかけ算と違ってわり算の筆算は機械的に行うことができません。92 の中に 16 がいくつ入っているか探すには試行錯誤が必要です。頭の中で数を扱うことに慣れるにはそれなりの時間がかかります。

例2.1kL は 何立方㎝ ですか。(小6)

 小学6年ではメートル法の仕組みを学びます。 1kL = 1,000L = 1,000,000mL といった横の関係と 1mL = 1立方cm のような縦の関係を理解して単位を換算するにはやはり時間をかけて練習しなければなりません。

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あさのは塾便り::勉強・子育てなど | 07:50 AM | comments (x) | trackback (x)

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