食料生産革命の罠 その2


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(前の記事から続きます)

 人類は約250万年前、アウストラロピテクスの名で登場してから99%以上の歳月を狩猟・採集に依存して生きてきました。

 人間の身体は狩猟や採集に適応しており、野生の食料は何十種も確保することができました。人間は雑食性ですからこの食事は理にかなっています。

 複数の食料を摂取すれば栄養バランスは保ちやすく、一部の食料供給が途絶えても別の選択肢を探ることができます。

 飢えや病気の危険もこの後の時代より少なかったかもしれない。彼らは刺激的で多様な時間を過ごしたことでしょう。

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 だが、農耕・牧畜が始まってから、人間は朝から晩まで動植物の世話をして過ごすようになった。それは単調で苦労の多い生活でした。

 農作業は片時も手を抜くことができないし、腰を屈めた姿勢が骨格や関節に疾患を引き起こします。

 穀類中心の食事は消化が悪く栄養バランスも偏り、歯や歯肉にも悪影響を及ぼしました。

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 定住が始まれば人口も増えますが、その増え方は常に食料生産の増え方を上回っていました。子どもが増えれば離乳が早まり免疫系が弱まって感染症が広がりやすくなります。

 単一の食料に依存するため、いったん不作になれば何千から何百万の人々が餓死することもあります。

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 畑や牧草地、収穫物が標的となって争いも起き、防壁を築いて見張りをおくことも始まりました。

 かつては移動して相手を忌避することもできましたが、定住を始めれば戦う以外の選択肢はなくなる。かくして村落や部族間の争いが絶えなかったことでしょう。

 農業生産という試みは次々に新たな局面を呼び起こし、人間社会に不可逆な変化を引き起こしたとノア・ハラリは語ります。

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 私たちがときおり感じる世界の矛盾はこのとき始まっていたように見えます。

 勤勉と繁栄の先に幸福が待っているとは限らないこと。社会の発展と個人の幸せは一致しないかもしれないこと。今日の社会は限りない人々の犠牲の上に成り立っていることなど。

 狩猟・採集時代にもどることはできないし増えた人口を減らすことはできません。文明化の道はいつも片道切符なのです。

あさのは塾便り::本・映画など | 09:00 AM | comments (x) | trackback (x)

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