退屈できない理由


あさのは塾ブログ

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 高校2年の秋頃だったと思います。午後の体育の授業が終わったあと、着替えもせず図書館へ行ってSF雑誌に読み耽っていました。

 閲覧室からはグラウンドが見渡せ、暖かな日差しはゆっくりと西へ傾いていく。ひとしきり読み終えると、外を眺めながらぼうっと余韻に浸っていました。

 やがて友人が呼びに来てくれて、一緒に帰りました。自分の原風景の一つです。

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 これも同じ頃、夜九時頃に予備校が終わり、神保町の書店に立ち寄って閉店まで粘り、何かしら新書を立ち読みしていました。

 お茶の水駅界隈は、まだ多くの店にネオンが灯り、楽器店からは音楽が流れ、会社員や学生が家路を急いでいます。

 夜のしっとりとしたこの時間も好きでした。当時は、毎朝7時前に家を出る生活をしていたはず。若かったことです。

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 ところで、冒頭の場面で読んでいた小説を、後年読み返したくなったことがあります。作者も題名も忘れてしまいましたが、だいたいの粗筋と面白かったという記憶だけが残っている。

 そこで、当時の雑誌のバックナンバーを数年分買い込んで探してみたのですが、結局見つけることができませんでした。

 心を揺り動かされた作品を懐かしく思い出すけれども、追体験が叶わないということが、人生ではしばしばありますね。

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 上記は作品が手に入らなかった例ですが、現物は今ここにあるけれど、時間的制約が接触を妨げるという場合もあります。

 たとえば、過去に夢中になった長編小説。あるいは、シリーズ物の海外ドラマ、キャラクターを育てるテレビゲームなど。

 大人になって今さら再挑戦するのは、もう事実上無理でしょう。

 追体験に時間を費やすのはいかがなものかという罪悪感もあります。過去を振り返るくらいなら前進せよと言われれば、まったくその通りです。

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 さらには、馬齢を重ねるにつれて、今度は来たるべき人生のタイムリミットが、少しずつ現実味を帯びてきます。

 こうなってくると、再訪することはおろか、手つかずで終わってしまう事柄に未練が残って、死んでも化けて出てきそうです。

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 宇宙も人間も謎だらけで、解き明かされるのを待っている。ただでさえややこしいのに、かたや創作活動に余念がない人々がいて、無視できない作品をたくさん作っている。

 これはもう自業自得というべきでしょう。この世界は、どうやら死ぬまで退屈できない仕組みになっているのだと思います。
あさのは塾便り::勉強・子育てなど | 12:57 AM | comments (x) | trackback (x)

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