2024,12,12, Thursday
今から2400年ほど前にあった、世界最大の図書館の話をしましょう。エジプト第2の都市アレクサンドリアは、地中海に面した美しい港湾都市です。その歴史は古く、名前の由来はアレクサンドロス大王まで遡ります。
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アレクサンドロスは、紀元前4世紀、古代ギリシアの北方、マケドニアという国の王でした。
軍事に関して天才的な手腕を発揮し、二十歳で王位を継ぐと、破竹の勢いで進軍。大国アケメネス朝ペルシアを滅ぼし、地中海沿岸からオリエント一帯に至る大帝国を建設したのです。
紀元前332年、エジプトに入った彼はアレクサンドリアを建設し、以来この都市は貿易、文化の中心地として、数々の王朝の下で繁栄を続けました。
ちなみに、日本に目を転じると、当時はまだ縄文時代にあたります。長く世界史の激動にさらされたこの地と比べれば、日本の歴史はなんだかこじんまりとして見えます。
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さて、この時代、王家や有力政治家たちには、詩人、学者など知識人を積極的に庇護し、活動を支援するという、古代ギリシア以来の伝統がありました。
それは、形を変えた諸王朝の勢力誇示でした。一族の事績を詩に讃えさせることもあり、技術や情報の独占、子弟の教育の手段でもあったのです。
アレクサンドロス自身、幼少期には哲学者アリストテレスが家庭教師としてついていたほどです。
そのため、アレクサンドリアにも、当代一流の学者が集い、学術研究機関(ムセイオン)が設けられ、図書館も作られたのでした。
彼らの中には、エウクレイデス(ユークリッド)、エラトステネス、アルキメデスなど、今日でも名の通った学者が大勢います。
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そこで図書館の話です。アレクサンドリアの図書館は、当時、世界最大規模で、70万冊の本を蔵していたと言われます。
ちなみに、今日、京都市中央図書館には、30万冊の資料が所蔵されているそうです。数だけ見れば、これに似たり寄ったりですから、上記の数字はさほど驚くほどでもないように見えます。
しかし、まあ聞いてください。この頃は木材を原料とした紙がなく、パピルス草から作られたパピルス紙が使われていました。これは製造に手間と時間がかかる高級品です。
(ちなみに、パピルス紙は折り曲げにくいため、長く繋いで巻物としました。これを巻子(かんす)と言います。)
また、印刷技術がないので、全ての本は手書きでした。原本は一冊しかありませんから、同じ本を手に入れたければ、手で書き写すしかないのです。
従って、当然のことながら、本は高価なものでした。他国の貴重な本は、巨額のお金を預けてこれを借り出し、転写して返却するという手順を踏みました。
このようなわけで、本を収集する作業は、今日からは想像できないほど、困難なものだったのです。
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それほどの労力と財力、そして情熱が注がれた大図書館ですが、現在はもう残っていません。数百年の間、文化や学術の拠点として、機能していたことは間違いありませんが、それがいつどのようにして滅んだしまったのかについては、詳しい経過もはっきりしないのです。
強大な権力に守られない限り、この施設を維持することは難しいでしょう。アレクサンドリアでは、政治勢力が抗争を繰り返し、たびたび戦火に見舞われて、多くの本を焼失しました。
ローマ帝国の支配下にあっては、キリスト教徒から異教の文化として敵視され、破壊、略奪の憂き目にあいました。
貴重な本が集められたことには、大きな意義があったでしょう。しかし、不幸にして災厄が訪れれば、むしろ、それが仇となります。多くの書物が一度に失われるわけですから。
かくして、歴史に刻まれるべき、この壮麗な大図書館は泡沫のごとく消え失せ、ただ本に愛着を抱くものたちの憧憬の対象となって、今に至るのです。
参考)
『古代アレクサンドリア図書館』 エル=アバディ
『図書館の興亡』 マシュー・バトルズ
『学術都市アレクサンドリア』 野町啓
それは、形を変えた諸王朝の勢力誇示でした。一族の事績を詩に讃えさせることもあり、技術や情報の独占、子弟の教育の手段でもあったのです。
アレクサンドロス自身、幼少期には哲学者アリストテレスが家庭教師としてついていたほどです。
そのため、アレクサンドリアにも、当代一流の学者が集い、学術研究機関(ムセイオン)が設けられ、図書館も作られたのでした。
彼らの中には、エウクレイデス(ユークリッド)、エラトステネス、アルキメデスなど、今日でも名の通った学者が大勢います。
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そこで図書館の話です。アレクサンドリアの図書館は、当時、世界最大規模で、70万冊の本を蔵していたと言われます。
ちなみに、今日、京都市中央図書館には、30万冊の資料が所蔵されているそうです。数だけ見れば、これに似たり寄ったりですから、上記の数字はさほど驚くほどでもないように見えます。
しかし、まあ聞いてください。この頃は木材を原料とした紙がなく、パピルス草から作られたパピルス紙が使われていました。これは製造に手間と時間がかかる高級品です。
(ちなみに、パピルス紙は折り曲げにくいため、長く繋いで巻物としました。これを巻子(かんす)と言います。)
また、印刷技術がないので、全ての本は手書きでした。原本は一冊しかありませんから、同じ本を手に入れたければ、手で書き写すしかないのです。
従って、当然のことながら、本は高価なものでした。他国の貴重な本は、巨額のお金を預けてこれを借り出し、転写して返却するという手順を踏みました。
このようなわけで、本を収集する作業は、今日からは想像できないほど、困難なものだったのです。
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それほどの労力と財力、そして情熱が注がれた大図書館ですが、現在はもう残っていません。数百年の間、文化や学術の拠点として、機能していたことは間違いありませんが、それがいつどのようにして滅んだしまったのかについては、詳しい経過もはっきりしないのです。
強大な権力に守られない限り、この施設を維持することは難しいでしょう。アレクサンドリアでは、政治勢力が抗争を繰り返し、たびたび戦火に見舞われて、多くの本を焼失しました。
ローマ帝国の支配下にあっては、キリスト教徒から異教の文化として敵視され、破壊、略奪の憂き目にあいました。
貴重な本が集められたことには、大きな意義があったでしょう。しかし、不幸にして災厄が訪れれば、むしろ、それが仇となります。多くの書物が一度に失われるわけですから。
かくして、歴史に刻まれるべき、この壮麗な大図書館は泡沫のごとく消え失せ、ただ本に愛着を抱くものたちの憧憬の対象となって、今に至るのです。
参考)
『古代アレクサンドリア図書館』 エル=アバディ
『図書館の興亡』 マシュー・バトルズ
『学術都市アレクサンドリア』 野町啓
あさのは塾便り::本・映画など | 03:09 AM | comments (x) | trackback (x)