差し向かうことの意味


あさのは塾ブログ

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 かつて、高校を中退し、通信制の学校で勉強している生徒が来ていました。引きこもり気味の生活が気になって、私はときどき彼に意見をしました。

 ときには、少し立ち入ったことにまで、口を出しました。うるさがられるとは思いましたが、だれか一人、遠慮なく言う人間が必要だろうと考えていたのです。その辺はわかってもらえるだろう、という期待もありました。

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 しかしながら、あるとき自分の浅はかさを思い知ることになりました。私の不用意な一言が原因で、すっかり彼が怒り出してしまったからです。えらい剣幕でののしる様子に、いささか呆気にとられ、「こんなに上手に喋れるなら、行き帰りの挨拶もしたらどうだい」と、思わずツッコミを入れてしまったほどでした。

 私がよけいなことを言わなければ、彼が怒ることはなかったでしょう。では、黙っておくべきだったのかと問われれば、正直なところ、今でもよくわかりません。

(少し補足しますが、お母さんからは「自分が言っても聞かないので、先生から遠慮なく注意してやってください」という言質は頂いていたのです。一悶着あって、後日のお電話で、「うちの子があんなにはっきりものが言えるなんて、正直嬉しかった」という感謝の言葉(?)を頂きました。いやもう何が何だか)

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 新人講師のなかには、慣れないながらも、熱心に生徒と向き合ってくれる方がいて、傍で見ていて微笑ましくなります。

 しかし、そんな彼らも壁に突き当たって、自信を喪失することがあります。それは「一生懸命教えているのに、生徒の側にやる気がないから、何も伝わらない」と考えるときです。

 そもそも、勉強がキライで、仕方なしに通っている子どももいるのですから、全員が授業に協力的というわけにはいきません。そういう生徒に接して、経験の浅い先生が思い悩むのは、ままあることなのです。

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 こういうときは、次のようなアドバイスをします。

 君は、自分の力を過小評価しているのではないか。自分の役目は、質問受付ロボットみたいなもので、生徒が質問ボタンを押すまで待っていようと考えているなら、それは間違いだよ、と。

 先生は、ただのロボットではないのです。なぜなら、先生は「こんなことを考えてみよう」と、生徒に生き生きと話しかけることができます。

 「おや?」という話題を持ち出して、生徒の気持ちを引きつけることもあります。「ダラダラするな」と一喝して、しゃきっとさせることもできるのです。

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 教える先生によって、その教科が好きになったり、嫌いになったりするのは、だれもが経験することです。ベテランの学校教師なら、受け持ちのクラスの雰囲気を、すっかり変えてしまうことだってできるでしょう。

 先生と生徒が差し向かいになれば、ただ単に教える・教えられるの関係にとどまらず、人と人との関係を期待することができます。そして、人は互いに、相手に影響を与えることができるのです。

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 通信制の講座や、ネット配信の授業に満足せず、小言ばかり聞かされる塾に、わざわざ通ってくださる理由の一つは、先生と生徒の「差し向かいの効果」というものを、期待してくださってのことでしょう。

 だとすれば、先生の役目に忠実であろうとすればするほど、生徒にとっては耳の痛いことを、言わなければならない場面も出てきます。

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 子どもを本気で叱ろうと思ったら、それなりの覚悟とエネルギーが必要です。叱り方に失敗すれば、修復に時間がかかることもあります。

 ふざけている生徒を叩き出せば、そこまでする必要はあったのだろうかと自問します。中学生の女子生徒を泣かせてしまった日には、その後の気まずさと言ったら、もう目も当てられません。(もっとも敵もさる者で、あとで聞いた話ではウソ泣きだったそうですが…絶句)

 けれども、人と人との関係が摩擦を伴うものでありながら、その関係性を捨て去ることは出来ない以上、緊張と痛みは甘受しなければならないだろうと思うのです。

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 冒頭に紹介した生徒は、塾をやめてしまいました。4年ほどの付き合いでした。人の気持ちは伝わるようでもあり、伝わらないようでもあり、なかなか難しいものであります。
あさのは塾便り::勉強・子育てなど | 03:31 AM | comments (x) | trackback (x)

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