2014,10,04, Saturday
春秋という時代中国史では、紀元前8~5世紀を「春秋時代」と呼びます。
かつて「殷」王朝を倒して権力を握った「周」王朝も、数百年の歳月のうち次第に衰え、広大な中国大陸のあちこちで諸侯が着々と実力を蓄えて、勢力争いを繰り返すようになりました。
孔子が人としての道を説き、儒学の基礎を築いたのもこの時代です。
日本はと言えば、その頃はまだ縄文時代。狩りや採集をしてその日暮らしをしていました。卑弥呼が登場するのがこれより700年後のことですから、中国文明の先進ぶりが際立ちます。
呉と越の争い
さて、春秋時代後半に、南方の長江流域で勢力を拡大したのが、「呉」と「越」という2つの国です。
呉王の闔閭(こうりょ)・夫差(ふさ)父子は、名臣 孫武(そんぶ)・伍子胥(ごししょ)の助けを得て、他方、越王の勾践(こうせん)は賢臣 范蠡(はんれい)の力を借りて、それぞれ国力を高め、覇権を巡って争いました。
前497年、越との戦いで受けた傷がもとで、闔閭は命を落とします。彼は死ぬ間際に息子の夫差を呼び、「必ず敵を討て」と言い残しました。
そこで、夫差は毎晩ごつごつとした薪の上に寝て(「臥薪」)、復讐心を燃やし続け、3年後に会稽山の戦いで越に勝利するのです。
他方、負けた勾践は夫差の奴隷となることを誓い、やっとのことで命を助けられます。そして、今度は彼の方が復讐を心に決め、部屋に苦い肝をつるして毎日のように嘗(な)める(「嘗胆」)のです。
こうして、富国強兵に努めること22年、遂に勾践は呉を破り、夫差を自殺に追いやって、志を遂げたのでした。(ここから「会稽の恥を雪ぐ」という言葉が出来ました)
20年越しの目標達成
夫差と勾践、どちらも人並み外れた執着心を持っていたように見えます。
とくに、勾践の方は20年以上かけて、目標を達成するのですから、私たちの人生と引き比べてみても、大変な精神力の持ち主だったのでしょう。
ちなみに、彼が嘗め続けた「肝」というのは、熊の肝臓のことだと言われます。大変苦いそうですが、漢方にも使われるということなので、健康には良いものだったはず。
一方、「薪」の上で3年間寝不足ぎみだった夫差には、相当な疲れがたまっていたことでしょう。勾践が長く志を保ち続け、最後に勝利できた原因には、ひょっとすると、2人の健康状態も影響していたかもしれません。
日常に違和感を抱く
ところで、両者共に「触覚」と「味覚」という、五感のうちでも原始的な感覚に「違和感」を与え続け、それによって復讐心を保ち続けたというのは興味深いことです。彼らには、初心を忘れないために「薪」や「肝」といった仕掛けが必要でした。
ということは、逆に言えば、父親を殺されたり、奴婢として足下に跪いたりといった、想像を絶する屈辱的な経験をした人々にとってさえも、「志」というものは、時間の経過とともに鈍化するものなのかもしれません。
中国の歴史上の豪傑たちにも、事情がそうであるなら、私たちが初志を貫徹したり、本来の自分を見失わないようにするためには、なおさら、この日常生活に抱き続けるべき「違和感」を忘れてはならないでしょう。
波風の立たない平和な日常は、ときとして、感覚が麻痺した惰性的な生活に陥ります。かつての私たちの夢や理想とは、どのようなものだったでしょうか。
呉王の闔閭(こうりょ)・夫差(ふさ)父子は、名臣 孫武(そんぶ)・伍子胥(ごししょ)の助けを得て、他方、越王の勾践(こうせん)は賢臣 范蠡(はんれい)の力を借りて、それぞれ国力を高め、覇権を巡って争いました。
前497年、越との戦いで受けた傷がもとで、闔閭は命を落とします。彼は死ぬ間際に息子の夫差を呼び、「必ず敵を討て」と言い残しました。
そこで、夫差は毎晩ごつごつとした薪の上に寝て(「臥薪」)、復讐心を燃やし続け、3年後に会稽山の戦いで越に勝利するのです。
他方、負けた勾践は夫差の奴隷となることを誓い、やっとのことで命を助けられます。そして、今度は彼の方が復讐を心に決め、部屋に苦い肝をつるして毎日のように嘗(な)める(「嘗胆」)のです。
こうして、富国強兵に努めること22年、遂に勾践は呉を破り、夫差を自殺に追いやって、志を遂げたのでした。(ここから「会稽の恥を雪ぐ」という言葉が出来ました)
20年越しの目標達成
夫差と勾践、どちらも人並み外れた執着心を持っていたように見えます。
とくに、勾践の方は20年以上かけて、目標を達成するのですから、私たちの人生と引き比べてみても、大変な精神力の持ち主だったのでしょう。
ちなみに、彼が嘗め続けた「肝」というのは、熊の肝臓のことだと言われます。大変苦いそうですが、漢方にも使われるということなので、健康には良いものだったはず。
一方、「薪」の上で3年間寝不足ぎみだった夫差には、相当な疲れがたまっていたことでしょう。勾践が長く志を保ち続け、最後に勝利できた原因には、ひょっとすると、2人の健康状態も影響していたかもしれません。
日常に違和感を抱く
ところで、両者共に「触覚」と「味覚」という、五感のうちでも原始的な感覚に「違和感」を与え続け、それによって復讐心を保ち続けたというのは興味深いことです。彼らには、初心を忘れないために「薪」や「肝」といった仕掛けが必要でした。
ということは、逆に言えば、父親を殺されたり、奴婢として足下に跪いたりといった、想像を絶する屈辱的な経験をした人々にとってさえも、「志」というものは、時間の経過とともに鈍化するものなのかもしれません。
中国の歴史上の豪傑たちにも、事情がそうであるなら、私たちが初志を貫徹したり、本来の自分を見失わないようにするためには、なおさら、この日常生活に抱き続けるべき「違和感」を忘れてはならないでしょう。
波風の立たない平和な日常は、ときとして、感覚が麻痺した惰性的な生活に陥ります。かつての私たちの夢や理想とは、どのようなものだったでしょうか。
あさのは塾便り::本・映画など | 11:38 AM | comments (x) | trackback (x)