2025,10,13, Monday
本書(眞淳平著、岩波ジュニア新書)は、この宇宙に人類が生まれ、今日のような繁栄を遂げるには、いくつもの偶然が必要だったことを取り上げています。たとえば、太陽は大きすぎず、遠すぎず、人類の生存に適した環境を整えた。木星や土星は、地球に巨大隕石が衝突する確率を減らし、月の存在は地球の自転速度を調節した。
地球自身もほどほどの大きさで、大量の海水、地磁気、オゾン層を備え、生物を保護することに貢献した。宇宙の誕生や人類の歴史に興味を持つ方には、楽しい入門書になることと思います。
★☆★☆★
ところで、本書に12ほど挙げてある偶然のうち、面白いと思ったのは次の2つです。
偶然1 宇宙を決定する「自然定数」が、現在の値に決まったこと。
この宇宙には、光の速さc、万有引力の法則を記述する重力定数G、アボガドロ定数NAなど、常に同じ値をとる数があって、自然定数と呼ばれます。
これらの値が変化すると、宇宙のあり方は変容し、物質の性質や運動も変化して、生物のような複雑な構造は保てなくなると言います。
★☆★☆★
偶然10 地球に、豊富な水が存在したこと。
地球上の水は、摂氏4度のとき密度が最大になるという性質を持つため、氷が水に浮きます。(その他多くの物質は、液体より固体の方が密度が高いため、固体は沈みます)
このため、地球史で3回ほどの全球凍結が起きたとき、氷は水面近くから凍っていくので、内部の水が液体のまま保たれ、水中の生物が保護されたと考えられるのです。
また、水は多くの物質を溶かして、体内の隅々に運びますし、比熱が大きく、気温の変化を緩和します。
★☆★☆★
前者の自然定数の決定は、宇宙の構造そのものを左右する重要な条件です。後者の水の性質もまた、水分子の構造に由来する、生物の生存に不可欠な条件です。
ですから、これら2つの偶然は、他の偶然とは種類が異なる重大性を帯びているように見えます。
★☆★☆★
話は変わりますが、ここで、サッカーの試合のことを考えてみます。
サッカーを見る観客は、選手たちのエネルギッシュな動きや、華麗なボールさばきに魅了され、我を忘れて応援します。そして、ときには予測を越えたボールの動きに狂喜乱舞したり、落胆の溜息を漏らしたりするわけです。
ところで、このサッカーコートの広さであるとか、サッカーのルールの類いは、一朝一夕に決められたものではないでしょう。おそらく、歴史的な経緯の中で、試合が面白くなるような形へと徐々に調整されてきたのだろうと思います。
ですから、サッカーのさまざまな約束事が、たまたま現行のように決まっている「偶然」は、ボールの動きに作用する「偶然」とはレベルの違うものだと言えるでしょう。むしろ、前者は偶然と呼ぶべきではないのかもしれません。
★☆★☆★
翻って、再び宇宙の話に戻り、サッカーとのアナロジーを考えてみましょう。
すると、宇宙の構造や法則は、サッカーにおける約束事にあたるものでしょう。そして、宇宙に存在する事物は、試合に参加する選手のようなものです。
この宇宙のあらゆる事物は、宇宙の法則に従って、ときには偶然に翻弄されながら、サッカーの選手たちのようにプレーを続けています。
それでは、この宇宙の約束事は、いつ誰によって決められたものなのか。ひょっとしたら、宇宙のルールもまた、ゲームが面白くなるよう調整が図られてきたのかもしれない。もしそんなことが可能だとすれば、それはまさしく神の御業であると言ってもよいでしょう。
もしかしたら、私たちが偶然とみなしていたことですら、そうとは言えないのかもしれません。こんなことを考えながら、秋の夜長は更けていきます。
偶然1 宇宙を決定する「自然定数」が、現在の値に決まったこと。
この宇宙には、光の速さc、万有引力の法則を記述する重力定数G、アボガドロ定数NAなど、常に同じ値をとる数があって、自然定数と呼ばれます。
これらの値が変化すると、宇宙のあり方は変容し、物質の性質や運動も変化して、生物のような複雑な構造は保てなくなると言います。
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偶然10 地球に、豊富な水が存在したこと。
地球上の水は、摂氏4度のとき密度が最大になるという性質を持つため、氷が水に浮きます。(その他多くの物質は、液体より固体の方が密度が高いため、固体は沈みます)
このため、地球史で3回ほどの全球凍結が起きたとき、氷は水面近くから凍っていくので、内部の水が液体のまま保たれ、水中の生物が保護されたと考えられるのです。
また、水は多くの物質を溶かして、体内の隅々に運びますし、比熱が大きく、気温の変化を緩和します。
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前者の自然定数の決定は、宇宙の構造そのものを左右する重要な条件です。後者の水の性質もまた、水分子の構造に由来する、生物の生存に不可欠な条件です。
ですから、これら2つの偶然は、他の偶然とは種類が異なる重大性を帯びているように見えます。
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話は変わりますが、ここで、サッカーの試合のことを考えてみます。
サッカーを見る観客は、選手たちのエネルギッシュな動きや、華麗なボールさばきに魅了され、我を忘れて応援します。そして、ときには予測を越えたボールの動きに狂喜乱舞したり、落胆の溜息を漏らしたりするわけです。
ところで、このサッカーコートの広さであるとか、サッカーのルールの類いは、一朝一夕に決められたものではないでしょう。おそらく、歴史的な経緯の中で、試合が面白くなるような形へと徐々に調整されてきたのだろうと思います。
ですから、サッカーのさまざまな約束事が、たまたま現行のように決まっている「偶然」は、ボールの動きに作用する「偶然」とはレベルの違うものだと言えるでしょう。むしろ、前者は偶然と呼ぶべきではないのかもしれません。
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翻って、再び宇宙の話に戻り、サッカーとのアナロジーを考えてみましょう。
すると、宇宙の構造や法則は、サッカーにおける約束事にあたるものでしょう。そして、宇宙に存在する事物は、試合に参加する選手のようなものです。
この宇宙のあらゆる事物は、宇宙の法則に従って、ときには偶然に翻弄されながら、サッカーの選手たちのようにプレーを続けています。
それでは、この宇宙の約束事は、いつ誰によって決められたものなのか。ひょっとしたら、宇宙のルールもまた、ゲームが面白くなるよう調整が図られてきたのかもしれない。もしそんなことが可能だとすれば、それはまさしく神の御業であると言ってもよいでしょう。
もしかしたら、私たちが偶然とみなしていたことですら、そうとは言えないのかもしれません。こんなことを考えながら、秋の夜長は更けていきます。
あさのは塾便り::本・映画など | 09:59 AM | comments (x) | trackback (x)


