学ぶことの意味 -子路 その2-


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(前の記事から続きます)

 子路は、優れた弟子たちの中にあって、どちらかと言えば劣等生でした。しかし、孔子の言葉がわからなければ、わかるまで食い下がり、煩悶すれど決して自らをごまかさず、そうした子路の人柄は、やがて一門の人々の信頼を得るようになります。

 後年、子路は「衛」の国に仕え、打ち続く争いで荒れ果てた国土の建て直しを図ります。畑が整えられ、民家が立ち並び、人々が平穏に暮らす様子を見て、3年後に訪問した孔子がその手腕を褒めたほどでした。

 しかし、争いを事とする時代の常とて、やがてこの国にも政変が生じ、子路の仕えていた主人が反乱者側に捕らえられる事件が起きます。町が混乱し、多くのものが脱出するなか、同じ主に仕えていた同門の子羔(しこう)が止めるのも聞かず、子路は主人の所に舞い戻ります。

 大勢の群集の前で、子路は反乱者の非を絶叫し、主人を助けようとする。これを恐れた簒奪者が、二人の剣士に子路を討つように命じる。この場面を再び中島敦の小説から引いてみましょう。

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 子路は二人を相手に激しく斬り結ぶ。往年の勇者子路も、しかし、年には勝てぬ。次第に疲労が加わり、呼吸が乱れる。子路の旗色の悪いのを見た群集は、この時ようやく旗幟を明らかにした。罵声が子路に向って飛び、無数の石や棒が子路の身体に当った。敵の戟の尖端が頬を掠めた。纓(冠の紐)が断れて、冠が落ちかかる。左手でそれを支えようとした途端に、もう一人の敵の剣が肩先に喰い込む。血が迸り、子路は倒れ、冠が落ちる。倒れながら、子路は手を伸ばして冠を拾い、正しく頭に着けて素速く纓を結んだ。敵の刃の下で、真赤に血を浴びた子路が、最期の力を絞って絶叫する。

「見よ! 君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」

 全身膾のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。

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 子路は学問の道を選択し、その学問が子路をここまで連れてきました。孔子と出会わなければ、子路は地元の顔役といった役回りで終わっていたかもしれません。

 子路の死の様子は、私たちをはっとさせます。冠を正しく身につけるとは、物事の筋を通すということでしょう。それは子路にとって、ただ生きながらえることよりも大切なことだったのです。

 また、それは子路ならではの選択でもありました。孔子の言葉通り、学問は子路という人間の天性をとらえ、これを磨いてみせたのです。志と学問は相携えて、人の生を全うさせるように思われるのです。
あさのは塾便り::本・映画など | 10:43 PM | comments (x) | trackback (x)

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