2020,01,01, Wednesday
お正月にちなんで、百人一首の歌をいくつか振り返ってみます。里帰りされた方も多いと思いますが、久しぶりの故郷はいかがでしたでしょうか。★☆★☆★
人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける (紀貫之)
「人の心は変わりやすいものだが、昔馴染みの梅の花は変わらぬ懐かしい香りで自分を迎えてくれる」と詠んだ歌です。
久しぶりに訪れた宿の主人との気の利いたやり取りということだそうです。たしかに人の心は移ろいやすいものですね。でもそれは必ずしも悪いことではないかもしれません。
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君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな (藤原義孝)
「あなたのためならどうなろうと惜しくはない命だと思っていましたが、恋が叶ってからは逆に少しでも長く生きたいと思うようになりました」と詠っています。
藤原義孝は名門藤原家の出、容姿端麗、和歌の才能に恵まれ注目を浴びる一方、たいそう信心深い人でもありました。
長く生きたいと詠んでいるので年を取ってからの作のようにも見えますが、その実21歳で流行り病で亡くなったということです。
そうなると自分の死を予見しているようにも見え、若き才人の人生への思い、無念、恋人への純粋な気持ちがしみじみと感じられる気がします。
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玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする (式子内親王)
「わが命よ、絶えるならば絶えよ。生きながらえるなら恋心を隠す力も弱まってしまいそうだから」と詠む歌です。
式子内親王は後白河天皇の皇女、賀茂神社に奉仕する斎院(巫女)を務め、生涯独身であったと言われます。
身分上も立場上も自由に恋愛することの叶わない状況で、それでも人を好きになってしまったということなのでしょう。
この恋が成就することはありえない。でも、好きだという気持ちを抑えることは難しい。恐ろしく芯の強い女性のぎりぎりの独白が聞こえてくるようで平静でいることができません。
★☆★☆★
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部)
「もうすぐこの世を去る自分ですが、あの世への思い出にせめてもう一度あなたにお逢いしたい」と詠んだ歌です。
和泉式部は恋多き女性で噂が絶えず、その素行には眉をひそめる向きもありました。亡くなる直前の歌もこれこの通り、決して人生を悟ったようなものにはならなかったのです。
このとき何歳だったのか詳細はわかりません。今なお熱い気持ちがほとばしる情熱的な歌のようにも見えますし、一人で死にたくないという寂しい心情を吐露したようにも見えます。いずれにせよ、感情の振れ幅の大きな人だったのでしょう。
人の心はさまざまに揺れ動いてとどまるところを知りません。しかし、それはそのままその人が生きた証のようにも見えます。
かつてどんな人生を思い描いていたか、どのような志を抱いていたのか、仮にそれが変節してしまったとしても、真剣に思い悩んで辿った足跡は刻まれて残っています。
ならば、むしろ私たちは確信を持って自分の心はわからないというべきなのかもしれません。人の心はこれからも揺れ動くべきであって、悟ったような人生を送る必要はないのです。
そうした人生を送ればこそ味わえる故郷の匂やかな梅の香りというものがあるのではないでしょうか。
「あなたのためならどうなろうと惜しくはない命だと思っていましたが、恋が叶ってからは逆に少しでも長く生きたいと思うようになりました」と詠っています。
藤原義孝は名門藤原家の出、容姿端麗、和歌の才能に恵まれ注目を浴びる一方、たいそう信心深い人でもありました。
長く生きたいと詠んでいるので年を取ってからの作のようにも見えますが、その実21歳で流行り病で亡くなったということです。
そうなると自分の死を予見しているようにも見え、若き才人の人生への思い、無念、恋人への純粋な気持ちがしみじみと感じられる気がします。
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玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする (式子内親王)
「わが命よ、絶えるならば絶えよ。生きながらえるなら恋心を隠す力も弱まってしまいそうだから」と詠む歌です。
式子内親王は後白河天皇の皇女、賀茂神社に奉仕する斎院(巫女)を務め、生涯独身であったと言われます。
身分上も立場上も自由に恋愛することの叶わない状況で、それでも人を好きになってしまったということなのでしょう。
この恋が成就することはありえない。でも、好きだという気持ちを抑えることは難しい。恐ろしく芯の強い女性のぎりぎりの独白が聞こえてくるようで平静でいることができません。
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あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部)
「もうすぐこの世を去る自分ですが、あの世への思い出にせめてもう一度あなたにお逢いしたい」と詠んだ歌です。
和泉式部は恋多き女性で噂が絶えず、その素行には眉をひそめる向きもありました。亡くなる直前の歌もこれこの通り、決して人生を悟ったようなものにはならなかったのです。
このとき何歳だったのか詳細はわかりません。今なお熱い気持ちがほとばしる情熱的な歌のようにも見えますし、一人で死にたくないという寂しい心情を吐露したようにも見えます。いずれにせよ、感情の振れ幅の大きな人だったのでしょう。
人の心はさまざまに揺れ動いてとどまるところを知りません。しかし、それはそのままその人が生きた証のようにも見えます。
かつてどんな人生を思い描いていたか、どのような志を抱いていたのか、仮にそれが変節してしまったとしても、真剣に思い悩んで辿った足跡は刻まれて残っています。
ならば、むしろ私たちは確信を持って自分の心はわからないというべきなのかもしれません。人の心はこれからも揺れ動くべきであって、悟ったような人生を送る必要はないのです。
そうした人生を送ればこそ味わえる故郷の匂やかな梅の香りというものがあるのではないでしょうか。
あさのは塾便り::本・映画など | 10:05 AM | comments (x) | trackback (x)