百人一首 3


あさのは塾ブログ

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めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな(紫式部)

 「めぐり逢ってお見かけしたのかどうかもわからないうちに姿が見えなくなってしまいましたね、夜中の月のように」と詠む歌です。

 今ではすっかり携帯電話が普及しました。携帯が流行りだした頃、さっそく塾に持ち込んできたのは女子高校生たちですが、彼女たちが道で友人を呼びとめるのにも携帯をかけているのを見て変な時代になったと思ったものです。

 上記の歌の作者は紫式部、女友だちが訪ねてきたもののすぐに帰ってしまったときに詠んだ歌だそうです。

 当時はもちろん携帯もなく何かの事情ですれ違えば会うこと自体が難しかったわけで、会えなかったときの切なさは今の私たち以上のものがあったでしょう。

 とはいえ、そのおかげでこうした趣のある歌が後世に残されました。大切な人に会えないということは限りなく詩情をかきたてるものです。

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やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな(赤染衛門)

 「こんなことならためらわずに寝てしまいましたのに。夜が更けて月が傾くまで見ていたことですよ」と詠んでいます。

 平安貴族の結婚は一夫多妻制で通い婚でしたので、女性は男性が訪ねてくるのをひたすら待っていなければなりません。来るかどうかは男性の気持ち次第だし、女性から連絡することはできない。

 気を紛らわせるものも少なかった当時、思い人を待ちながら夜空の月を眺め続ける気持ちはどんなものだったでしょう。

 詠み人の赤染衛門は藤原彰子に仕えた女房(お付きの女性)です。彰子(しょうし)は藤原道長の娘で一条天皇の皇后となり、彼女のもとには紫式部や和泉式部など錚々たる女性が集められて文芸サロンのようになっていました。

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ながからむ 心も知らず 黒髪の みだれてけさは ものをこそ思へ(待賢門院堀河)

 「あなたの心が長続きして下さるのかわかりません。朝になって黒髪も心も千々に乱れて物思いにふけっています」と詠む歌です。

 逢えて幸せなときを過ごすことができても、朝になって別れを告げたあとは別の心配事が頭をもたげてきます。

 人の心はあてにならないものですしお付き合いが続くという保証もありません。恋愛を続ける限りこの不安は絶えることがないでしょう。

 待賢門院堀河は保元の乱で破れた崇徳天皇の母君に仕えた女房です。それにしても一夜明けた後の寝乱れた黒髪とはずいぶん艶っぽい描写です。

 こういう歌を子どもたちにわからないうちに暗誦させているのですから、日本の教育も捨てたものではありません。

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春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそ惜しけれ(周防内侍)


 「春の夜の夢のようなできごととはいえ、軽々しくあなたの手枕を借りて噂になるつもりはありませんよ」と詠んだ歌です。白河天皇に仕えた周防内侍と藤原忠家との気の利いたやりとりから生まれたようです。

 先ほどの思い詰めた歌とは対照的に、男性の誘いを上手にあしらう女性のスマートさが感じられ、全体の軽快な語感と相まって恋の駆け引きの始まりを見るようです。

 男女の付き合いはときに楽しくときに苦しいもののようです。それにしても千年も前の和歌に同じように共感できるのですから、今後も世に恋愛の種が尽きることはなさそうです。
あさのは塾便り::本・映画など | 08:02 AM | comments (x) | trackback (x)

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