「分からない」授業が役に立つとき


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◆「まったく分かってないので、分かるところからじっくり教えて下さい」というのは、保護者の方からよく出されるご要望です。

◆もっともな話で、英語や数学は積み上げ教科ですから、分からずに放っておけば、にっちもさっちも行かなくなります。当然、分かるところからやり直さなければなりません。

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◆ところで、私たちは日常生活の中で、さまざまな形の学習を経験します。そのときの理解の過程は、必ずしも学校で教わるように、やさしいものから難しいものへと順序よく学習するとは限りません。

◆たとえば、スマートフォンを買ってもらった子どもは、だれに教わるでもなく、夢中でいじっているうちに使えるようになります。パソコンを一人で使ううちに、ネットの閲覧履歴を消すことまで覚える子どももいます。

◆それどころか、子どもたちは成長の過程で、意味が分からないはずの大人の会話を聞きながら、言葉を覚えていきますし、大人のふるまいを真似しながら、生活習慣や社会規範を身につけます。

◆アルバイトを始めれば、最初のうちこそ手ほどきを受けますが、あとは日々の実践の中で働きながら慣れていくわけです。

◆こうしてみると、世の中で何かを学習するときは、試行錯誤を繰り返して、しだいに身につけるというスタイルの方が、ありふれているとも言えるでしょう。

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◆一般に、試行錯誤型の学習が多いのは、物事を理解する仕組みに由来しています。

◆英語の文章を日本語に訳すときのことを考えてみましょう。英文全体の意味を知ろうと思って単語を調べてみると、辞書にはたくさんの意味が書かれています。どの意味がふさわしいかを決めるには、逆に、英文全体の意味から推測しなければなりません。

◆つまり、全体を知るには部分を知らなければならず、部分を知るには全体を知らなければならないという循環が存在しているわけです。(これを解釈学的循環といいます)

◆私たちは全体と部分とを見比べて、試行錯誤しながら可能性を絞り込むのであり、それが物事を理解することの意味なのです。

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◆そうした事情があるので、学校の授業のように、順を追って直線的に物事を理解するスタイルは、むしろ例外的だと思わなければなりません。

◆いや、学校の授業といえども、すべてが順番通りに進行するわけではありません。「応用問題」がそれです。そこでは、直線的な学習過程から外れる内容を扱っています。

◆説明が分かりにくい先生にあたることもありますが、そんなとき、私たちは先生のクセを覚えたり、言い回しに慣れたりして、気づかぬうちに試行錯誤型の理解を実践しているのです。

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◆従って、物事の理解というものは、いつでもスムーズに訪れるとは限りません。ペンキを塗り重ねるように、知らないうちに厚みを増していき、「あれはこういうことだったのか」と突然腑に落ちるという経過をたどる場合も多いのです。

◆ですから、「完全に理解しないと先へは進めない」と考えるなら、それは誤解です。よく分からなくて「もやもやしている」状態は、次のステップへの準備が整ってきた証拠だと思って下さい。

◆大切なのは、試行錯誤しながら、分からないなりにそれでも聞き続けることであり、理解力の差が生じる原因は、「聞き続ける能力」の違いにかかっているのです。

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◆近年は、多くの学校が習熟度別学習を取り入れています。たしかに合理的なのですが、これに異論を唱える学者もいます。彼らは、身の丈に合った問題ばかり解けるようになっても、本当の理解力は育たないと考えています。

◆定評ある公文式の教室や、進研ゼミの通信教材にも、同じことがいえます。これらの教材が分かりやすい理由は、教材に極力工夫を凝らしていると同時に、直線的な学習過程にそぐわない内容を、あらかじめ排除しているからです。

◆そうでなければ、学校の先生が準備に何時間もかけて、神経をすり減らして教える内容を、だれもがプリントを進めるだけで自学自習できるはずはないのです。

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◆子どもが塾から帰ってきて「よく分からなかった」と言ったら、その「分からない」の意味を確かめて下さい。

◆さっぱり理解できていなければ論外ですが、「もやもやしている」という意味だとしたら、早急に結論を下すのは待って頂ければと思います。むしろ「分かりやすいことしか教えない塾」の方を疑ってかかって頂きたいのです。

◆「もやもやしている」は「分かる」の前段階として必須の状態であり、その積極的な意味を評価して頂ければと思います。
あさのは塾便り::勉強・子育てなど | 11:20 PM | comments (x) | trackback (x)

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