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 最近よく聞くのが、人工知能(AI)が発達するせいで人間がする仕事がどんどん減ってしまうという話です。

 単純作業ばかりでなく医者のような専門性の高い職業でも例外ではないそうで、たくさんのデータをもとに珍しい病気を診断したり、高度な難しい手術を正確に行うのは機械の方が向いているのだとか。

 お医者さんと並べるのも僭越ですが、生徒に持ち込まれた問題が解けなくて参考書をひっくり返したりしている身としては、こんなときAIの先生ならあっという間に検索して解答例を出してくれるのだろうと思います。

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あさのは塾情報::雑感 | 10:57 AM | comments (x) | trackback (x)

(承前)

 子路は、優れた弟子たちの中にあって、どちらかと言えば劣等生でした。しかし、孔子の言葉がわからなければ、わかるまで食い下がり、煩悶すれど決して自らをごまかさず、そうした子路の人柄は、やがて一門の人々の信頼を得るようになります。

 後年、子路は「衛」の国に仕え、打ち続く争いで荒れ果てた国土の建て直しを図ります。畑が整えられ、民家が立ち並び、人々が平穏に暮らす様子を見て、3年後に訪問した孔子がその手腕を褒めたほどでした。

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あさのは塾情報::雑感 | 10:43 PM | comments (x) | trackback (x)

 古代中国の思想家「孔子」には、有名な弟子が十人(孔門十哲)いたとされますが、その一人に子路(しろ)がいます。子路はもともと学問よりも武勇を好み、ときには騒ぎも起こすが義理には厚いという、いわゆる侠客と呼ばれる人でした。

 ある日、彼は孔子というものが賢者と称し、弁舌巧みに人々を惹きつけていると聞いて、化けの皮を剥がしてやろうと喧嘩をふっかけに行くのです。その様子を中島敦の『弟子』という小説から見てみましょう。(一部改変しています)

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あさのは塾情報::雑感 | 01:28 AM | comments (x) | trackback (x)

◆先日、たまたまラジオを聞いていましたら、終戦直後の算数の教科書は、今よりも例題の文章が長く、物語の形をとっていたという話をしていました。

 地図の縮尺を教える単元では、子どもたちが住む町の描写から始まり、町をもっと知りたいという気持ちから地図作りを始め、そこでやっと、地図の寸法はどうなるかという本題に入るのだそうです。

 今から見れば、ずいぶんのんびりとしたテンポの教科書に見えます。

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あさのは塾情報::雑感 | 02:00 AM | comments (x) | trackback (x)

 紀元1~5世紀、古代ローマ帝国の版図は地中海全域に広がり、ローマの都には莫大な富が集積しました。

 時の皇帝たちは、政治的な問題からローマ市民の目を逸らすため、食料を無償で提供し、戦車競走や剣闘士試合などの娯楽を催したといいます。

 この様子をさして、詩人ユウェナリスは「かつて政治と軍事の権威の源泉であった民衆は、今ではパンとサーカス(見世物)ばかりを追い求めている」と書いて批判しました。

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あさのは塾情報::雑感 | 01:32 AM | comments (x) | trackback (x)

▼先日、テレビで青森県の三内(さんない)丸山遺跡を紹介していました。三内丸山遺跡は、今から約5500~4000年前の縄文時代の遺跡です。
 ここ20年ほどの調査で、予想以上に大規模な集落であったことがわかり、夥しい土器類も出土しました。

▼当時は、狩猟・採集中心の生活ですが、植物の栽培跡も見つかり、集落の周りにはたくさんの栗の木が植えられていました。
 本格的な農耕が始まる前から、多数の人々が一カ所に定住し、数千年にもわたって共同生活した事例は、世界史においても類を見ないそうです。

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あさのは塾情報::雑感 | 07:05 PM | comments (x) | trackback (x)

春秋という時代

 中国史では、紀元前8~5世紀を「春秋時代」と呼びます。

 かつて「殷」王朝を倒して権力を握った「周」王朝も、数百年の歳月のうち次第に衰え、広大な中国大陸のあちこちで諸侯が着々と実力を蓄えて、勢力争いを繰り返すようになりました。

 孔子が人としての道を説き、儒学の基礎を築いたのもこの時代です。

 日本はと言えば、その頃はまだ縄文時代。狩りや採集をしてその日暮らしをしていました。卑弥呼が登場するのがこれより700年後のことですから、中国文明の先進ぶりが際立ちます。

呉と越の争い

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あさのは塾情報::雑感 | 11:38 AM | comments (x) | trackback (x)

 かつて、子ども向け「ウルトラマン」シリーズに出てきたお話です。

 あるとき、異星人から地球に連絡が入って、こちらの宇宙都市の操縦が利かなくなり、地球と衝突しそうだ、ついては地球の進路を変えてもらえないか、と依頼をしてきます。

 できるわけがないと断ると、「ひょっとして、君たちは自分の星を動かせないのか、それで恐ろしくはないのか」と驚かれてしまうのです。

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あさのは塾情報::雑感 | 02:33 AM | comments (x) | trackback (x)

塾選びの一般論

 全国規模の大きな塾から、街の小さな塾に至るまで、すべての学習塾は次の2つの目標を抱えています。

1.生徒の学力を上げること
2.自分の利益を上げること


 2つのうち、どちらに軸足を置くかで、塾の性格は決まります。

 もちろん、お客さまにとっては、1つめの目標に重心を置いている方が、よい塾だということになりましょう。とはいえ、入塾する前にそれを見抜くのは、なかなか難しい作業です。


大手塾のふところ事情

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あさのは塾情報::雑感 | 09:40 AM | comments (x) | trackback (0)

 当塾は今を去ること十数年前、大学院に籍をおいていた塾長が食うに困って始めたものです。講師や家庭教師を続けていましたから、教える分に困ることはありませんでした。教え好きと塾経営の才能に、相関関係はないと気づくのはもっと後のことです。

 当時は、今より子どもの数が多く、学校のクラスもたくさんありました。塾の授業形式も「クラス授業」が主流でしたね。100人単位の授業を行っていた予備校が50人のクラスを作り、「少人数クラス」と宣伝していたような時代でした。(この予備校も今はありません)

 そんななかで、数人クラスを作り「少人数」「個別指導」とアピールしました。共通の解説は一緒に行い、あとは、先生が生徒と顔を付き合わせて、説明したりノートに書かせたりしていました。この授業方式は、基本的に現在も変わっていません。


・ゆとり教育の始まり

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あさのは塾情報::雑感 | 08:50 PM | comments (x) | trackback (0)

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